2010年07月24日

010・艶なのは幸村か、忍たちか

Bookfile aya・004
『幸村殿、艶にて候』(7)
□著者 秋月こお(あきつき・こお)
□イラスト 九號
□徳間書店(キャラ文庫) 377p、2010年3月発行/660円/ISBN978-4-19-900561-9

       ・・・
 え〜。最初にお断りしておきますが、キッパリ・一種の・【BL】です。
 ただしこの作家さん、“BL”やらその前身である“やおい”という言葉が一般に普及する以前から書いていらした、所謂「JUNE組」。中島梓さんのお弟子の一人=小説道場ご出身 でいらっしゃいます。
 あの頃、好きな作家さんは何人もいらした。この間、関係者と書店のその類のコーナーの前で、「あぁこの人は云々」「あの人は云々」を言い合ったばかり。その中で息長く、人気も実力もある人の一人、、と私は勝手に思っています。

 秋月こお、といえば、「フジミシリーズ」が有名です。正確には「富士見二丁目交響楽団」といい、音楽関係者のちょっとコッチ入ってる人で知らない者はなく、リアルタイム流行中の時は、あちこちのチャットでも話題になっていたくらいだし、現実のヴァイオリニスト・某氏を主人公に見立てて騒いだことも…覚え、ありません? フジミは15年以上続き、現在も年に何本か書き下ろしの出る人気シリーズです(角川ルビー文庫)。

 そのほかにこのキャラ文庫では、次々と違うジャンルに挑戦、王朝ものやガードマンものも名作でしたが、今回は、タイトルで分かるとおり、戦国武将で知将といわれその時代を駆け抜けた謎の男・真田幸村親子を取り上げています。
 先般、第7巻が出て、これにて完結。

 どの物語もそうですが、世界に入り込むのは相当に大変ですよね。第1巻を手にした時は、「う〜ん、これについていけるだろうか」と正直思ったことも確かです。何故なら、【文体から違う】んですよっ!
 もちろん現代語で書かれているのですが、登場人物たちの交わす科白はもちろん、出てくる単語そのものも、微妙に“当時を再現”してみせていて、例えばそれこそ“艶”な場面に出てくるアレやコレや、あ〜んなことや、こ〜んなことについても、昔の言葉を使っているんですね。これは作者のこだわりでしょうが、現代語風に「なんとかLOVE」とか「〜でしょぉ?」とか言ったりしません。武家は武家言葉で話し、語尾や態度、その他行動や様式についても少なくとも普通の“時代劇”以上には再現されていて、その文中に書かれている「音」や「リズム」を読んでいくだけでも、戦国時代にトリップするのでした。

        ★  ★
 このある意味で開放的でありながら(日本家屋の作り自体がそうですし、それにエラい人々には影供や、忍び、草・狗と呼ばれる人々が張り付いていて、本当の意味でのプライバシーなぞ無い)、物凄くストイックな関係性が浮き立ってきて、ついつい涙してしまいますですはい。

 真田幸村と、その父親であり大将である昌幸。第7巻ではこの昌幸パパのスパルタ教育もすごい。第1巻で人質に送り込まれそこで期待以上の働きをしてきた次男坊に、期待をかけつつ突き放すシーンは、戦国武将の親子関係(時には本気で殺しあったりもしましたからね)も甘くないと感じさせる。

 霧がくれ才三や猿飛び佐助、筧十蔵など、歴史ものによく登場する有名忍者たちが周りを固めていく様子が、本当にワクワクいたします。著者もあとがきに書いていましたが、「BLというよりは歴女さん萌え」になってしまった感もあるかも。過激なシーンを望む人には物足りなさがあるかもしれませんが、そのストイックさと虚実取り混ぜの新しい真田前史に、久々に何度も読み返した話になりました。

 第7巻のストーリーとしては、西国に行脚して関白秀吉公の信望を得た幸村(源次郎/おゆき、とも呼ばれる)は、里に戻り、次の任務に着手する。北条・徳川(家康)・豊臣の間に立ち、天下の動きを見ながら真田の所領を護り、さらには抜きん出ていこうとする野心の一方、領地と領土・領民や手の者たちへの愛情を抱きつつ他方で恋人・“上杉の殿”との間に引き裂かれる主人公…。
 もちろんエロっぽいシーンはあるのですが、それよりもスパイのために化けてそれぞれの設定で他国入りしたり、関所を智恵で切り抜けていったり、敵陣営に部下を助けるために飛び込んでいったり。また「諏訪の行者」という神力を扱う一面も登場し、まさに“戦国時代を”楽しめました。

 個人的には、「猿飛び」佐助、にヤられたんですよ。第5巻、、、いや登場した処からかな、気になっていたんですけどねぇ。この巻の主役、もしかして佐助!? って感じですよぅ。幸せになってほしいぞ…(あれってなったのかなぁ? ねぇ?>才三くん)
 大将としての器を持ち、影忍にまで慕われる主人公・幸村も、その欠陥人間ぶりとそれを越えての熱さが、久々に素敵なヒーローでした(しかも、本人・ウケだし・笑)。[綾]


posted by alto2009 at 14:03| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月30日

001・作家というひとたち

Bookfile po・001
『児玉清の「あの作家に会いたい」人と作品をめぐる25の対話』
□児玉 清
□PHP研究所/2009.07.17 222p/1200円 ISBN978-4-569-77004-8 C0095

 大崎善生 森絵都 萩原浩 東野圭吾 上橋菜穂子 万城目学 桜庭一樹 角田光代 真保裕一 あさのあつこ 三浦しをん 有川浩 北村薫 川上弘美 町田康 江國香織 北方謙三 山本兼一 石田衣良 小川洋子 夢枕獏 村山由佳 北原亞以子 浅田次郎 宮部みゆき


 何かと無趣味な人間で、自己紹介カードや履歴書の「趣味」の欄がキライだった。

 【趣味:読書、音楽鑑賞】
と書くのは「無趣味だ」と書いているのと一緒だから何か他のことを書きなさい、と指導されたのはいつのことだったか。だが、ほかに趣味を持っていない以上、そう書くしか致し方ない。サークルのプロフィールに【趣味=寝ること】と書けても、当時、履歴書にそれを書く勇気はなかった。(今ならするかもしれないが(σ ̄ー ̄)σ )

 実家の両親は「歌は直立不動で歌うもの」というポリシー? の持ち主で、つまりは、東海林太郎のような人が「歌手」だと思っている。ジュ○ーなんかは「たこおどり」と酷評。歌を聞く以前の処でストップがかかる。そんなだから家でレコード(<時代だな・笑)を聞いたり、歌番組を見たりなんてことはほとんどなかった。それでも見たきゃ、聞きたきゃ自分でどうにかしていただろうから、所詮は私自身の指向もそちらに向いていなかったということだろう。
 つまり、冗談でも「音楽鑑賞」とは書けないわけだ。「何が好きですか?」と質問されても、答えられないのだから。

 必然的に残るのは「読書」だけ。
 では、「読書家」だったり「活字中毒」だったりするかというと、そんなこともない(と、本人は思っている)。何しろ、それを名乗るには読書量が足りないのだ。

 ただ「本が好きか?」「物語が好きか?」と聞かれれば、「YES!」と自信を持って答えることはできる。「好き」という感情と、「他人様よりも優れている」という事実は関連性がないからね(笑)。

 では「読書家」とか「活字中毒」のカテゴリとは一体どんなものなのだろう?
 例えば、息子のクラスの保護者の中で比べるなら、私の「読書量」は少なくはないだろう。だが、周りの人たちや、ネットの海を漂流していると、私は「圧倒的に読書量が少ない」と思わざるを得ない。とてもじゃないが、「読書家」や「活字中毒」を名乗る勇気はない。
 まあ「びょーきだよ」と言われれば、確かにその通りかもねぇとは思ってはいる。

 好きと言えば、もうひとつ。「図書館」も好きだ(^^)。
 サイト整備などは最低限読めれば可、と考えていたのだが、内容が「図書館」になった途端やる気がでたのは、かなり自分でも笑えた。


 そんなことを考えつつ、本を読んだ。

 222pにこれだけの作家さんとの対談が入っているので、お一人ずつは本当に短い。だが、児玉さんと作家さんたちの、その会話が聞こえてくるようで、ちょっと話が残ったりた。

「”神さまたちに出逢える”。そう思っただけで僕は興奮した。日頃、作品を読んで感動し、面白さに夢中にさせてくれる作家という仕事を生業としている人たちは、一体どんな人たちなのか。人生でこれほどワクワクしたことはめったにない。僕は勇躍して番組に臨んだものだ」(「まえがき」より引用)

 児玉さんがそう仰るのは、わかるように思う。

 最近になって思うのは、「生(ライブ)」はすごい、ということだ。
 本が好きで活字が好きで、「読む」ことには何の抵抗も持たない私だが、「ライブ」はまた違った情報や感動を与えてくれる。
 そう思うと、それを「いかにして文章で伝えるか」ということに力を注いでいる人たちがいるのだということに(今頃になって)気が付き、それがまた、「読む」楽しさに繋がっていった。
 「生」=その人の作り上げた世界と考えれば、それは創作であれ、ルポルタージュであれ、ある意味、同じ意味を持つのではないかとも思った。


 面白かったのは、ほとんどの作家さんが「他にできることがなかった」と仰っていることだ。
 いくつかの選択肢の中から選んだのが「作家」という職業だったわけではなく、「他に何にもなれなかった」と仰る方が多いこと。もちろん、全ての方がそうではないのだろう。
 本に対する「指向」も「思考」も「嗜好」も「志向」も、皆それぞれであり、「本が好きだったか」「いつから読んでいたのか」「いつから書いていたのか」そんな質問にも、答えはひとそれぞれだった。

「それしかなかった」というのは、もの凄いものであり、多くの作家さんがそう思っているという事実には、本当に驚いた。「他にできることがなかった」と思っている人が作家になるとは、思わなかったから。作家というのは「いろいろな才能を持ちながら、敢えてそれを選んだ人」だと思っていたからだ。

 【趣味=読書】
 最近は、抵抗なく書けるようになった。うん。悪いことじゃない(^^)。

 それから、もひとつ面白かった逸話を。
 「本を買うと言えば、必ずお小遣いが貰えたから、本をよく買いました」という方もまた、多かったということ。
 ぷぷ、と吹き出してしまった。何しろ私がそういう状態なのだ。残念ながら「買って貰う」のではなくて「買ってあげる方」だが。漫画だろうと小説だろうと、絵本だろうと欲しいと言えばホイホイ買って与えてました。
 作家にはなれないだろうけどね(σ ̄ー ̄)σ


 最後に、夢枕獏氏との対談のなかから。
「格闘技のトップレベルの人間は24時間そのことを考えていて、死ぬほど努力をしています。自分に才能があるかどかわからないため、努力して努力して、24時間をそのことの為だけに使う。そうやってようやく神は自分に何を与えたかがわかるわけで、才能を競い合える場所まで行けるのは、努力した人間だけです。」(183pより)

 どの世界に置いても、プロフェッショナルとはそういうモノであるのだろう。ひどく納得できた言葉だった。

[歩]

※一度管理人blog「胡蝶の夢」にあげたものですが、自己紹介を兼ねてこちらに移しました。
posted by pothos at 23:36| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする