2009年11月01日

002・そして森田透はどうなったか。

Bookfile regen・001
『ムーン・リヴァー』−TOKYO SAGA−
□栗本 薫/2008年2月脱稿
□角川書店/2009.9.25. 本文272p/1800円 ISBN 978-4-04-873982-5-C0093

 栗本薫の遺作だという。角川、早川の二社合同企画というから何かと思ったら、もう1冊は『嘘は罪』上下巻で、この作品にも出てくる作曲家・風間俊介が、“ここまでたどり着くまで”を描いている(らしい)。それまでの同じ登場人物群を巡るJUNE系作品の読み手の中には、同作品を酷評する人もいるので、(というのかまだ書店で見かけていないので)手にとってはいない。『ムーン・リヴァー』を手に取ったのは、ビジネス系書店で店頭に並び、そのやはり天野さんの表紙の美しさ(だけではないが、装丁全体が好きだ)に目が行ったからだ。手にとって、一瞬、迷う。……これが伊集院大介シリーズだったら、紙の裏側まで読みたいところだけれど(笑)。
 しばらく本の感触を楽しんで(<ってヘンタイですか?)数日置いておく。読み始めたら案外に一気だった。
 作家というのは、自分の病気や苦痛やなにかもネタにしてしまうのだなぁ、などというありきたりな感想は持たなかったが、この一連の物語の決着を付けるのが、島津正彦だというのが、ガンで死んでしまう(直前に病気に負けたくなく自死するのだが)なんともよく出来た魔法という気もするのだが。最初から、森田透、今西良、風間俊介、そしてこの主人公(?)である島津の名にそれぞれ覚えがあったから、「もしかして伊集院センセイのところに何か事件の相談に来たことがあったかしらん?」とも思い、いずれにせよ、栗本サーガの重要な登場人物だろうことは、内容から推し量れた。
 というのも実は、JUNE本誌から始まる(とあとで調べてわかった)『翼あるもの』『真夜中の天使』『朝日のあたる家』は読んでいないのであり、『終わりのないラブソング』でJUNE−Kurimotoから足を洗ってしまった自分には、まったく読んでいない栗本作品が、グイン以外にもあったのか、と驚き気付いて、改めて某ネットショップを流離った。これはかなり、嬉しいことだ。(これから読んで楽しめるからだ)

 そう考えてみると、先にこの“完成品”一作を読んだのは幸運だったのだろう。
 これが俗にいう「BL」やもっと以前の「801」さらに遡って「JUNE」系の一連である、と考える必要はまったくないからだ。“その続き”として読むと物足りないかもしれないし、主人公たちの置かれた境遇と行く先に、物足りなさ/虚しさを憶えるかもしれない、と想像するからだろう。
 (別の話だが、この作中にもあるように、彼女の描こうとする“美しい男”のラインアップ/オンパレード には、いささかついていけないものを感じている。情熱の向ける方向は人様々だから、JUNE的にはもちろん、これで正しいのだが。)
 まったく先入観なく、一つの話として読む。なにせこの686枚中(編集者注だ)、登場人物はわずか四人。島津の家の中だけで終始し、ほとんどが島津−森田の二人を軸に話は進み、島津の盟友・野々村と、森田のもとの敵であった風間が訪ねて来たり訪ねて行ったりするだけだ。……そういった意味でいえば、カテゴリとしてBL、なのか? いや。ノンジャンル、である。


 物語は終始、島津のマンションの中で終始する。
最初の頃、島津が野々村を訪ねていったり、森田が入院してしまったり風間と飲みに行ったりもするから、もちろん部屋の外にも出るのだろうが、読み手は、森田透の視線と感覚を通して、部屋の中に囚われているような感じを持つ。
 森田透本人は、そういう感じはないんだろう。どこへ行こうと自由だし、居ても、居なくても、それも自由。ただ、彼は自分がその世界の一部のように感じており、彼の中でも(自分の)中と外の区別が曖昧である。
 エロ・グロというか、狂気に近くなっていく筆致が冴える時によくあるように、ことはSMの度合いを呈してきて、淡々と描かれるそれをどう読めばいいのかは正直戸惑うが、イヤらしい感じがしないのは、精神的なものが優先されている(それは彼らの中ですらも)からだろう。気持ちの問題、とかそういうことではない。肉体から感じるものがイコール精神に浸透していく、ということで、それは読んでいる者がどこまで共感できるかは別として、客観的に絵として眺めていられるようなものでない。
 ネタバレは厳禁だろうか(上ですでに一部やっちゃってますけど)。
それを避けて書くとすれば、愛の狂気の中に陥って(というか、島津正彦の方は正常に目覚めた=生まれ直して自分が“愛するというのはどういうことか”と気づいただけだし、森田透の方は、自分が知っていたことによりハッキリ気付くだけだが)、互いがきっちり求め合うようになってからの一幕が、とても切ない。
 伊集院大介シリーズにおけるシリウスやら、胡蝶やら田宮怜やらに感じるように、異性である著者が描く、同性への狂気のような愛情の方向性(それもたいていが一方的+相手はそれを受け容れる格好の)は、共感しきれないところもあるのだが、こういう形で、すれ違いながらも双方向なことが珍しいからかもしれないのだ。だからこそ、最初のSMまがい(?)のエロシーンよりも、後半の特になんということもない2場面(書かないけど)がとてもエロティックで、優しい。

 帯にも出てしまっているので、この作品の結末はもう最初からわかっているのだった。時折そういう物語というのがあるが、ではあとは? 生と死に別れるとわかっている二人が、どういう結論を持つことができるのか。作中でも二人はそれぞれに思い悩む。一緒に逝ってしまう、というのは一つの方法だが、森田透には現世に(しかも刑務所という隔離された場所に)囚われている恋人がいるのだ。
 彼はどちらをも取れずに悩むが……読んでいると、「もうあんたは選んでるじゃないか」と言いたくなるわけだ。(それは私が前作を読んでいない所為もあるかもしれないけれども。)
 意外な方法で決着が付き、そうして意外な人物が本当の意味での決着を彼につける。そうして残された彼は……、というところがこの作品の真の表現だったのか、とあとから気付いて、それこそがこれを数多のBLと一線を画しているものにした。というか、最後の最後まで、“そう”感じなかったほどに、普通の作品であり得た。

(ここから、ネタバレ・・・)
 死んでお終いではなく、生きなければ、と感じ(思い、ではない)。はたまたそれに絶望しながらも……生理的現象に「生きなければならないのか」と情けなくなり、涙が止まらない……。これは、一度死に掛けた、死にたいと思った人間が生き続けなければならないと悟る最初の瞬間の、それこそ“絶望”。あまりのツラさに、だけどもう死ぬには手遅れ。……これは実感として身に染みる。いやそうさせる瞬間。
 物語はそこで終わっているが、こういう結末を書いたことを、凄いと思うわけだ。美しく終わらせたのではなく。足掻きながら生きること、それが人の人生だからだ。絶望と、微かな希望と……もはや登場人物の背景はどうでもいいだろう。圧倒的に支持者を持つらしい森田透というキャラクターに、それを残していったことで。栗本薫は、読者の中に大きな課題を投げていった。そうして言っているのかもしれないよね、「生きなさい、生き続けなさい。私はもっと生きたい」――考えすぎだろう。エンターテインメントとして一級だ、というだけの話だ。(男同士の××&SMで吐く人でなければ、)読む価値のある作品…と思う。 [雨]


posted by alto2009 at 16:00| Comment(2) | 現代作家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>>blueさま
ご感想コメント、大変嬉しく拝見いたしました。このアドレスは共有で使っておりますので、末尾の署名が人間を特定しておりますのでご了承ください。

本日は少々時間がありませんが、ぜひblogの方、訪ねさせていただきます。ご訪問、ありがとうございました。

今回の件でいろいろ調べてみましたが、森田透には、長い軌跡を辿ってこられたファンの方が多くいらっしゃいますね。それにもまた惹かれるものがあります。では。[雨]
Posted by [雨] at 2009年11月07日 13:49
blueさま
 ご訪問ありがとうございます。いただいたコメントは大変嬉しく拝見いたしました。ご挨拶が遅れまして大変失礼いたしました。
 blogへも訪問させていただき、[雨]の感想と共に大変興味深く拝見しました。私はこの本は未読ですので感想を交わすことをはできませんが、読んでみようかと思っていた処です。
 ご要望の件、了解いたしました。お待たせしてしまって申し訳ありませんでした。またご訪問いただけることをお待ちしております。
Posted by ポトス(管理人) at 2009年11月21日 00:08
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